「迷惑」に関する教え

今回のテーマは、「迷惑」です。

所変われば、教えも変わる

「所変われば、品変わる。」

という言葉があります。

同じように、

「所変われば、教えも変わる。」

と言えるのではないでしょうか。

人に迷惑をかけないように

日本には、

「人に迷惑をかけないように。」

という教えがあります。

「他人に迷惑をかけないように、慎ましく生きなさい。」

ということでしょうか?

この教えを間違えてしまうと、自分の望みよりも、他人に迷惑をかけないことを優先するようになってしまいます。

このような考え方は、ときに自分自身を苦しめることになってしまいます。

人によって、迷惑と感じることはまちまちだからです。

同じことをしても、

  • 迷惑と感じる人
  • 何も感じない人
  • むしろ歓迎してくれる人

が、一定の割合で存在するものです。

↓参照

その人たち全員に迷惑にならないようにするのは、至難の技です。

どんなに気を遣っても、迷惑に感じる人もいます。

あなたが、良かれと思ってやったことが、相手には、迷惑になってしまうこともあります。

逆に、「迷惑かな?」と思ってやってしまったことを、喜んでくれる・歓迎してくれる人もいます。

全員に迷惑にならないようにするためには、何もしないのが一番ということになってしまいます。

そんな、他人の評価基準を気にするあまり、自分の望みを我慢したり、捻じ曲げたりしていたら、苦しくなってしまうのも仕方ないことです。

諸外国の「迷惑」に関する教え

一方、インドでは、

「人に迷惑をかけずに生きてはいかれないのだから、他の人に迷惑をかけられても大目に見よう。」

という教えがある、と聞いたことがあります。

「お互いさま」の精神ですね。

また、ブラジルでは、

「人が楽しんでいるのを邪魔するな。」

という教えがあるそうです。

人が楽しんでいるのに、「うるさい」などと言って、白けさせるなということなのでしょう。

まとめ

もちろん、どの教えが正しい/間違い、良い/悪い、そういうことではなく、価値観や常識は、国によって・人によって違うものだから、自分の価値観や常識を振り回す・押し付けるだけではなく、違いを認め尊重し合うことが大切なのでしょうね。

今日の問いかけ

他の人に迷惑になるかもしれないからと我慢していることはないですか?

それって、本当に迷惑になってしまうことですか?

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