2015/5/23
今日から毎日というワケではないにしても、頭に浮かんだことを書き記していこうと思う。
パソコンやスマホでテキスト入力するのも良いが、そうすると最初から清書する気持ちが出てきてしまい、書き記すことに専念できなくなりそうな気がする。よって手書きで、しかも万年筆で書き記していこうと思う。書き損じ上等、誤字脱字上等、後で読めないとか 気にせずに書き記していこうと思う。
テーマはしぼらず、とはいえいずれ、ブログ等に掲載するような モノ・コトが良いかなと思う。
一般的な尺度にとらわれない。
「男が外で働いて、女は家を守る。」
男が稼がないといけない。恥ずかしい。
木村の場合、病気もあるし、そもそも妻の方がお金の専門家であり、稼ぎも多い。
得意で好きな人がやれば良い。
気持ち良く仕事ができるように支援することにした。
とはいえ、病気で仕事をしていない時期でも、自分の小遣いくらいの収入はあった。
仕事をしていなかった時に、両親が同時に入院することがあった。
母の入院は何度かあったが、父はまだ元気だったので父が見舞いなどできたし、やっていた。
しかし、そのときは2人同時入院した。
しかも、別々の病院に。
姉と交替で見舞い(洗濯や身の回り品の補充など)をしていた。
姉はお勤めをしていたので、平日の日中のイベント(医師の話や手術の立ち会い)は仕事をしていない私が対応した。
自分もお勤めをしていたら、このような対応はできなかった。
仕事を言い訳にせず、親の世話ができることを幸せに思えた。
2002 年8月にお勤めを辞めてフリーに。
「 10 年後に経済的自由を得ている。」という目標だけ決めて。
何をするのかは、漠然とは考えていたけれど、ほとんど何も決まっていなかった。
→結果:9 ヶ月遅れの 2003 年5月には仕事をせずに暮らす生活に突入したのである。
元々思い描いていたのは、ビジネスで成功したり、資産形成をしたりして、サラリーマン時代の収入を超える大きな不労収入を得ているという生活だった。
実際は、病気で働けなくなり、小遣い程度の収入だけは確保し、その間に結婚した。
住む所、食べる物には不自由せず、愛する人と一緒の生活。
思い描いていた状況とは若干違いはあるが、日標を達成しているのである。
この成果を、思い描いていたものと違うから受け取らない・受け取れないという人もいると思う。
でも私は受け取る。
受け取った上で、今後どうなっていくかをまた思い描いていこうと思う。
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