先週の金曜日、何年かぶりに「にじ」を見ました。
都内でありながら、ほぼ半円になるくらいの虹でした。
虹に氣付くことができる(空を見る余裕がある)自分に、我ながら感心して
いたのですが(笑)、
すれ違った、若い男性も氣付いていました。
私にとっては、進行方向に向かって少し上を見れば氣付くことができるの
ですが、
彼にしてみると、振り返って見上げないと見えないのです。
それでも、にじに氣付いて、何度も振り返っている彼を見て、
なんだか心が和みました。
一方で、苦虫を潰したような顔をして、うつむいてあるいている中年男性も
いました。
身の回りで起きていることは同じ出来事なのに、
それに氣付く/氣付かない、見る/見ないで、人生が大きく違ってくる
ということを考えさせられた出来事でした。
P.S.
前回、虹のことを書きました。
そうしたら、次のようなメールをいただきました。
最近余り虹を見てませんが、わたしも氣づける人間を目指してます。
(意識して、空とか山とか見るようにしています!)
関連記事
2021.04.13
同じことでも状況によって受け取り方が違う
学生時代は、やりたいことで忙しかった。だから、疲れ知らずで活動できた。 社会人になると、やらなきゃいけないこと、やらされご...
コメント