【正しく「与える」】
アフリカのある地域で、
不衛生な水が原因で、小さな子供の命が数多く奪われているという事実が
あるそうです。
簡単な井戸さえ掘ることができたら、衛生的な水を得ることができて、
小さな命を救えるというのです。
こういう状況で、私たちは何をするのが一番良いのか、というお話を
聞きました。
まず最初に考えつくのが、井戸を掘る資金を援助しようということ。
この場合、お金のほとんどはその地域にまで届くことはなく、
国や役人のふところに入ってしまうかもしれません。
仮に、困っている地域にまでお金が届いたとしても、
そのお金欲しさで、争いが起きてしまうかもしれません。
人を信じ、そんなことはなく、キチンと現地にお金が届いて、
目的通りにお金が使われたとします。
そうしたとしても、井戸がいくつかできて終わりです。
井戸ができた村では、小さな命を救えたのかもしれませんが、
資金が回らずに井戸ができなかった村では、なお小さな命が奪われて
いきます。
また、井戸をめぐって、隣村同士で争い事が起きてしまうかもしれません。
次に考えられることが、井戸掘りの技師を現地に派遣するということ。
お金の援助よりかは、確かに現地に貢献できると思います。
ところが、やっぱり井戸を作れた村は良いのですが、
井戸を作れなかった村は、相変わらず何も変わりません。
では、このようにしたらどうでしょうか?
井戸掘りの技師と私が現地に行くのです。
そして、村の大人と一緒に井戸を掘るのです。
技師に井戸の堀り方を教えてもらいながら、
技師と私と村の大人と一緒に井戸を掘るのです。
そして、最初の井戸が掘れたら、
次は、私と村の大人とで、隣の村に行きます。
そして、私と村の大人と、隣村の大人とで、井戸を掘ります。
私と村の大人は一度井戸を掘っているので、堀り方を知っています。
隣村の大人と一緒に堀りながら、掘り方を伝えます。
そして、2つ目の井戸ができたら、
村の大人と隣村の大人とで、そのまた隣の村に行きます。
次は、村の大人と隣村の大人と、そのまた隣村の大人とで、
井戸を掘ります。
あとは、これを繰り返せば、現地の人達が自分達の力で井戸を掘ることが
できるようになります。
そして、井戸の掘り方を次の人に伝えることができるようになります。
これが続けば、もう私達の援助なしで、
不衛生な水が原因で命を奪われる子供はアフリカからいなくなるのです。
少々乱暴な理想論なのかもしれませんが、
ただ単にお金を出すだけに比べれば、よっぽど賢い選択です。
第18号でも、老人は魚をあげずに竿をあげたように、
その場しのぎの助けでは、その人のためになりません。
長い目で見て、本当に何が必要なのかを良く考えて、
賢く「与える」ようにしたいものです。
【今回のまとめ】
その場しのぎの「与える」は、
かえって「奪ってしまう」ことになりかねない。
関連記事
2021.04.15
「与えること」とエゴ
【「与えること」とエゴ】 ここ数回に渡って、「与えること」をテーマにこのメールマガジンを お届けしていますが、先日...
コメント