私は、音を立てて食べるのは行儀が悪いことだと思っています。
なので、自分は音を立てて食べないように気をつけています。
これは、親の躾により身に付いた考え方だと思われます。
子どものころに、親に注意を受けながら身に付けたモノです。
それなのにあの人は、何も気にせずに、音を立てながら食べることをしている。
不快だ。許せない。
ということになるのです。
自分がしないように気をつけているのに、それを平気でやっているのが許せない。
そう思う裏には、
- 「本当は自分もやってみたい。」
という思いが隠れているのが分かりますか?
- 「イヤイヤ、あのクチャクチャ食べる音は不快の他の何モノでもないでしょ!」
と思うかもしれません。
しかし、そもそも「音を立てて食べるのは行儀が悪い」と思っているのは、
親の躾によるものです。
親がその躾をしていなかったら、私はそういう風には思っていなかったかもしれません。
あの音が不快というのは、親が刷り込んだ価値観です。
あの音自体には、もともとは、快も不快もないのです。
単なる音でしかありません。
そこに、「行儀悪い」「不快」という意味付けをしているだけなのです。
その意味付けは、ほとんどの場合、自分がしたのではなく、親からの刷り込みなのです。
このことが分かっているからといって、
私にとってあの音は不快の他の何モノでもない、
というのは変わらないのですけどね(笑)
」「
ちなみに、東アジアのある国(地域?)では、「音を立てて食べることが、美味しく食べている証明だ」みたいな文化もあるようです。
日本では、麺をすすります。
これは、空気と一緒に吸い込む(すする)ことで、出汁やスープの香りを鼻に送り込んで感じるためなのですよね。
これが日本の食文化です。
欧米人は、この音も不快のようですね。
ただ、日本の食文化なので許してもらいたいものです。
欧米発祥のスパゲティなどはすすらなくても充分味が分かるように作られています。
だから、すする文化ではないのです。
なので、すする習慣のある日本人もすすらない方が良いですね。
スパゲティなどをすすっている場合は注意されても仕方ないとは思います。
」「
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