私は、自宅から最寄駅まで自転車で移動します。
その他、近所での買い物や用事のときにも、自転車で移動することがあります。
自転車移動するとき、私は「自転車は左側通行」を守ろうとしています。
道路交通法的には正しいことです。
ところが、右側通行をしてくる対向自転車と出会うことがあります。
私が「自転車は左側通行」にこだわっているので、
右側通行をしてくる自転車を鬱陶しく、邪魔に感じます。
ときには、「自分の方が正しいのだから、絶対に譲らないぞ」と思うこともあります。
「自転車は左側通行だろ!」と心の中で叫びます。
声に出して叫ぶほどの度胸はありません(^^;)
- この仕組み、分かります?
この際、道路交通法的に正しいか、そうでないかは問題にはしません。
つまり、右側通行している自転車に
- 「自転車は左側通行だろ!」と言いたいのは、
自分自身にも同じことを言っている、言いたいからなのです。
もし私がもう少し柔軟な考え方をすれば、
- 「右側を走る必要があるときもあるよね」
と許せるのかもしれません。
もっと言うと、私が「自転車は左側通行」に全くこだわっていなかったら。
そもそも、右側通行をしている自転車を気に留めることもないでしょう。
一方、右側通行で走っている自転車の主は、
「自転車は左側通行」に全くこだわりがないから、右側通行をしているワケです。
そして、「自転車は左側通行でしょうが!」とも思っていないワケです。
私にとっては、右側通行する自転車は邪魔で、鬱陶しくて、
心をザワつかせるモノですが、他の人にとっては、全くそんなモノではないのです。
ましてや、右側通行する自転車の主にとっては、・・・。
ということで、私が、右側通行する自転車が問題だ思うのは、
私の中に「自転車は左側通行」というこだわりがあるから
ということが分かっていただけたでしょうか。
もう一度言いますが、道路交通法的にどうか、
という視点は抜きにして話していますからね。
この事例は、私の人生に大きな影響を及ぼすほどのコトではありません。
自分の心の動き、その仕組みを考えるのに良い題材だと思っています。
現に、ここでネタにしているくらいです(^^)
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