芋掘りは自分掘り

先日の3連休に芋掘りに行ってきました。

芋掘りなんて、何年ぶりでしょう!?

おそらく幼稚園の遠足以来なので、30数年ぶりですね。

芋掘りの後は、そのまま畑の片隅でバーベキューをやりました。

堀りたてのさつまいもを焼き芋にしたり、畑の持ち主のKさんにいただいた無農薬のカボチャ、タマネギ、パプリカ、などなどを焼いたり、もちろんお肉も。

氣のおけない仲間と、芋掘り&バーベキューで楽しい一日を過ごしました。

土に触れるのも、心をリラックスさせる効果があっていいもんですね。

あなたはこの3連休をどのように過ごされましたか?

●最初の一歩を踏み出す

一緒に芋掘りをした仲間の一人が、こんなことを言い出しました。

「芋掘りって、芋を掘っているようで、実は自分を掘っているようだ」

と。

彼は、どんなことからも、人生の教訓を学び取るという特技というか、どん欲な心を持っています。

「農業というのは、自分のできること、例えば、種を蒔いたり、肥料をやったり、雑草を取り除いたり、などをやったあとは、信頼して、収穫のときを待つしかない。
良い意味で『諦め』も必要だ」

というのです。

「信頼して」というのは、蒔いた種がキチンと芽を出して成長することだったり、必要なだけの雨が降り、日が照ることだったり、を信頼して待つしかないんです。

「諦め」というのは、

台風が来たときには、人間の力ではどうにもできないので、「諦め」て見守ることしかできない。

収穫のときに始めて、その年の作柄が分かる。

そのときにどうあがいてもどうにもならない。

そういう意味での「諦め」も大事。

もちろん、やるべきことをやった上でのことだから、きっぱり諦められる、というのもある。

そんなことを考えながら、芋を掘っていたのです。

また、鍬を使って芋を掘り出すのですが、鍬の入れ方によっては芋を傷つけてしまうんです。

傷つけてしまった芋は商品として出荷できないのです。

一年分の信頼の結果が鍬の入れ方次第で決まってしまうのです。

自分の心の乱れが鍬の入れ方に現れてしまうのです。

集中して、愛情を持って、掘り出してあげる必要があるのです。

傷つけてしまうことを恐れていては、鍬を入れることができません。

芋を掘り出すことができません。

そんな恐怖を乗り越えて、前に進むというところにも、人生を感じていたようです。

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