宿命と運命

運命は決まっている?
という議論がある。

」「

占い(算命干支学)の話をすると、

誕生日が同じ人は、同じ人生を送るということなのか?

と言われることがある。

占いは運気の流れを読んでいるだけで、それをもとにどう生きるか、どういう選択をするかはその人次第。

みんなが同じ環境で生まれ、育つわけではない。

どんな職業を選ぶのかもバラバラ。

同じ人生を送ると考えるほうがおかしい。

」「

私の考え方はこうだ。
まずは、言葉の整理から。
宿命と運命という言葉がある。
私が考える宿命とは、生まれ落ちたときに決まったもの。
宿した命ということ。
どういうことかというと、生まれたときに、生年月日・性別・血液型・出生地・どの両親から生まれたか・その両親の何番目の子か、などは決まる。
性別や血液型など、後に変わったり、変えたりすることができるものもあるが、生まれたときの性別や血液型などは変わることはない。
それが宿命。

私が考える運命とは、自分で選択していけるもの。
運ぶ命ということ。命をどう運ぶかは、自分で選択できるという考え。
ただ、制限や制約なく、何でも選択できるというようには考えていない。

ここで、喩え話で解説したいと思う。
人生を川とその川を下っていく船に喩えてみる。

宿命は、源流点。
人生という川の出発点。最初の一滴が湧いて出る場所。

以前、軽井沢に旅行に行ったときに、たまたま中央分水嶺を見つけた。
降った雨が日本海に流れて行くのか、太平洋に流れて行くのかを分ける境界線というワケだ。
源流点が日本海側ならば、終着の海は日本海。
太平洋側ならば、太平洋が終着の海になる。
これは、もう変えようがない。

そして、源流点から、最初は水量も少なく、川幅も狭い。
下流に行けば行くほど、水量も多く川幅も広がってくる。

運命とは、この川をどのように船を進ませて下って行くか?ということ。
川幅が、選択の幅の広さということだ。
子どものころは川幅、つまり選択の幅が狭いので、人生に大きな違いはできない。
成長するのに従って、川幅、つまり選択の幅が広がっていく。
川の右寄りに船を進めるのか、左寄りに進めるのかを、その時々で選択することができる。
その船の進め方・運び方が運命ということ。

私の考え方はこういうものだ。

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