上手に受け取れるから、上手に与えられる

例えば、キャッチボールをするときには、

「相手が取りやすいボールを投げよう。」

と言いますよね。

ところが、自分がボールをキャッチしたことがなかったら、ボールを受け取ることをしたことがなかったら、どんなボールが取りやすいボールなのか、分からないですよね。

自分が受け取ることがなければ、どうやって与えれば良いか、分からないのではないでしょうか。

自分が受け取ることがなければ、何を与えれば良いか、分からないのではないでしょうか。

そして、うまく受け取ることが、相手に与えることになることもあります。

逆に、うまく受け取らないことが、相手から奪うことになりこともあります。

上手に受け取ることが、与えることにもなる

こんなことを考えてみましょう。

AさんとBさんがいます。

Aさんが、Bさんと会ったときに、Bさんの素敵な部分を褒めたとしましょう。

Bさんは、

「いやいや、そんなことないですよ。やめてくださいよ。」

と、謙遜したとします。

日本人は謙遜が美徳と考えている傾向があるので、こういったやりとりは、良く見受けられるでしょう。

でも、このときのAさんの気持ちはどうでしょう。

「本気で、ホントに素敵だと思ったから褒めたのに、そんな言い方しなくても。」

「ホントに素敵だと思ったから褒めたのだから、素直に喜べば良いのに。」

極端には、

「私は素敵だと思って褒めたのに、その判断基準がズレてるのかしら。
 私はセンスがないのかしら。」

などと、思わせてしまうかもしれません。

これでは、せっかくBさんを褒めて喜ばせようと思ったのに、Aさんは何だかイヤな気分になってしまいます。

Bさんは口では、

「そんなことない。」

と言いながら、まんざらでもないのかもしれませんが。

これでは、次回AさんがBさんと会ったときに、素敵な部分を見付けても、もう褒めたくなくなりますよね。

一方、AさんとCさんがいます。

Aさんが、Cさんと会ったときに、Cさんの素敵な部分を褒めたとしましょう。

Cさんは

「ホントですか? 嬉しい!! ありがとうございますっ。」

と大喜びしたとします。

このときのAさんの気持ちはどうでしょう。

おそらく、一緒になっていい気分になりますよね。

そしたら、次回AさんがCさんと会ったときに、素敵な部分を見付けたら、また褒めたくなりますよね。

Cさんは上手に受け取ることで、Aさんに良い気分を与えることが出来ました。

Bさんはうまく受け取れない(受け取ろうとしない)ことで、Aさんから良い気分を奪ってしまいました。

このように、「与えること」と「受け取ること」は、セットのような感じになっているので、同じように大切なのではないかなぁ、と考えています。

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