努力の先にあるものとは?

「努力」という言葉に、どんなイメージを持っていますか?

私は、「努力」という言葉があまり好きではありません。

なぜ、好きではなくなったのか?

それは、元々の意味を聞いてしまったからです。

又聞きのお話なので、正確性は保証できませんが、独自で調べてみても、おおよそ同じようなことが言われているのが分かったので、そんなに間違ってはいないでしょう。

「努力」の「努」の字は、「奴」に「力」でできています。

「奴」の字は、「女」に「又」でできています。

「又」は、手(右手)の象形文字からきています。

つまり、手で捕らえられた女が「奴」です。

「奴隷」の「奴」です。

その「奴」が力を尽くして働くということで、「努」という字になりました。

今は、

「つとめる(力をつくす)」

という新しい意味がついていますが、もともとは、このような「むりやり感」がある言葉なのです。

嫌なことをムリしてやる、という感じがしてしまうのです。

−−

ということなので、

  • 目標達成のために努力を惜しまない。
  • 目標達成には努力が必要だ。
  • 努力をすれば報われる。

という考え方に違和感を覚えてしまいます。

  • 目標達成のためには、嫌なことを惜しまずにやる。
  • 目標達成には、嫌なことをするのが必要だ。
  • 嫌なことをやっていれば報われる。

なんか違うと思いませんか?

目標設定の目的は、目標達成に向けて、今日明日の行動を変えること。

でした。

嫌なことをしなければならないのならば、今日明日の行動って変わりますか?

なかなか変わりませんよね。

目標達成は、辛いこと、嫌なことになってしまいます。

さらに、「努力」をして達成した目標は、「努力」を辞めてしまったらどうなるでしょうか?

達成した状態を維持できなくなってしまいかねないですよね。

つまり、「努力」を辞めることができなくなってしまう。

すなわち、嫌なことをして達成した目標は、嫌なことをやり続けなければいけなくなってしまうのです。

達成感、充実感を味わえ、幸せになれると思って目標達成しようとしているのに、その過程は辛く、達成後も嫌なことを辞めることができない。

そんなのイヤですよね。

−−

では、どうしたら良いのでしょう。

理想は、「ただただ好きなこと」をやることです。

それをやったからといって、どうなるものでもない。

でも、「ただ好きなこと」「やりたいこと」をやっていられるのが理想です。

結果が出ようが、出まいが、好きなことをしているので、それだけで幸せを感じられます。

幸せを感じられるので、続けることが容易です。

続けていれば、いつかは何かしらの結果が出てしまうことでしょう。

出る結果を目標にしていたら、目標達成は何の苦労もありません。

そこには「努力」もありません。

ただただ好きなことをしていたら、目標達成してしまうのです。

目標達成が自動的なのです。

ただ、この状態は、あくもでも「理想」です。

「理想」は理想として、掲げておいて、最終的にはそこを目指したいものです。

とはいえ、そうも言っていられない場合が多いです。

そういうときの次善策が次の方法です。

−−

「やるべきことを好きになる。」

達成したい目標があって、その達成のためにやるべきことが分かっている。

しかし、そのやるべきことをやるのには、「努力」が必要である。

としたら、やるべきことを好きになってしまえば、「努力」は必要なくなります。

では、どのようにして、やるべきことを好きになれば良いのでしょうか?

長くなってしまったので、今日はこの辺にして、次回続きをお届けしますね。

それでは、また。

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