[[name1]]さんが考える努力って、どんなものですか?
前回扱った、エジソンの名言
天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。
ですが、この中の「努力」という言葉に
どんなイメージを持っていますか?
努力、頑張る=やりたくないことをやる
例えば、あなたに子どもがいたとして、その子が、寝食を忘れて勉強しているとします。
その姿を見ると、あなたは
「努力している」
と思うのではないでしょうか?
一方、その子が、寝食を忘れてゲームをしているとします。
その姿を見ると、あなたはどう思うでしょうか?
「努力している」
と思いますか?
ただ、
「遊んでいるだけ」
と思いますか?
寝食を忘れて、何かに取り組んでいるという点では同じです。
ただ、取り組んでいるモノが「勉強」か「ゲーム」かという点が違っています。
「努力している」と見るか
「遊んでいる」と見るか
この違いについて考えてみたいと思います。
−−
子どもの様子を傍から見ている親にとっては、「勉強」は、やって欲しいと期待すること、であり、「ゲーム」は、やって欲しいとは期待していないこと、なのだと思います。
さらに、「勉強」は辛いもの。辛さを乗り越えて取り組むもの。
「ゲーム」は楽しいもの。
という認識の違いもあるのではないでしょうか?
−−
一方で、勉強している、ゲームをしている、その子にすると、どちらの場合も、
「寝食を忘れてしている」
ということは、どちらも
「好きなことに没頭している」
状態です。
「寝食を忘れて勉強している」その子にとっては、「勉強」は、好きなもの、楽しいもの、寝ることや食事することより優先させたいものなのです。
おそらく、その子は、成績が上がろうが、上がらなかろうが、好きだから勉強し続けるでしょう。
その結果として、成績が上がるであろうことは、想像できますが。
「寝食を忘れてゲームをしている」その子にとっては、「ゲーム」は、好きなもの、楽しいもの、寝ることや食事することより優先させたいものなのです。
おそらく、その子は、ゲームをクリアできようが、できなかろうが、好きだからゲームし続けるでしょう。
その結果として、いずれクリアできるであろうことは、想像できますが。
ということなので、どちらの場合でも、当の本人は、「努力」しているつもりなんて、サラサラないのです。
ただ、好きだから、楽しいから、やっているだけなのです。
努力してるね、とか、がんばってるね、とか言われても、当人にとっては、ピンと来ないのです。
−−
つまり、本来は、嫌なことを無理して、がんばることを
「努力」
と言っているのです。
ということは、「努力」してうまくいったことは、うまく行き続けさせるために「努力」し続けないといけないということになります。
嫌なことを無理して、がんばり続けないといけないということです。
どれだけ自分をいじめたら気が済むのでしょうかね。
それよりも、寝食を忘れて没頭できることで結果を出せるようにする方がよっぽど健康的です。
結果を出し続けることも容易にできるでしょう。
とはいえ、やりたくないことをやらないといけない、そんなときもあるでしょう。
それならば、やらなくてはいけないことを好きになってみる工夫をしてみたらどうでしょうか?
そして、好きになることができた工夫が、一つの「ひらめき」であって、好きになってしまえば、
「努力」=「寝食を忘れて没頭する」
になるのだと思います。
それでは、また。
」「
私は、努力という言葉が好きじゃない。
努の字は、奴隷の奴に、力を加えてる。
奴隷を用いるような力仕事という意味がある。
さらに力を加えて、努力。
2021.03.23
努力の先にあるものとは?
「努力」という言葉に、どんなイメージを持っていますか? 私は、「努力」という言葉があまり好きではありません。 ...
どれだけ、嫌なことを無理してやろうとしているのか。
一晩中、ゲームをしている子どもに、
「ゲームをクリアするために努力してるね。がんばってるね。」
とは言わない。
単に、好きでやってる、夢中になってる、熱中しているだけ。
なので、努力するのではなく、夢中になれる、熱中できることをやるほうが良いんじゃない?
夢中、熱中していれば、少々の挫折をも挫折と感じずに乗り越えている。
そのためには、まずはやるべきことを好きになる、楽しめるようになるのが良いのかなぁ、と私は思う。
頑張るという言葉も同じ。
頑なを張るって、どれだけ力を入れないとできないことなんだよ。
と私は思う。
」「
「努力している。」
「頑張っている。」
と
「行動量が多い。」は同義ではない。
努力する、頑張るより、行動量を増やそう。
努力する・がんばるより、工夫・改善をしよう。
努力する・がんばるより、夢中になろう。
」「
夕飯も食べず、夜通しゲームをしている子どもに、
「がんばってるね。」
「努力してるね。」
と言うだろうか?
しかし、最近は e-sports ができて、プロも出現し始めているので、今後は言うようになるのだろうか?
ゲームをしないで、遊んでいる子どもに向かって、
「ゲームがうまくなるために、もっと努力しなさい。」
と言うようになるのだろうか?
誰にも、何も言われずにゲームをしていて上手になっていく子どもと、他人から促されてゲームをやらされている子どもと、努力しているのはどちらなのだろうか?
前者は、ただ好きで夢中になっているだけなのではないだろうか?
後者は、やりたくないことをやっているのだから、本来の「努力」の言葉の意味に近いのではないだろうか?
もし、あなたが成功したいのなら、努力することより、夢中になれることをやった方が良いように思う。
やるべきことに夢中になれるようにするにはどうしたら良いかを考えて、実行する方が良いように思う。
あなたはどう思う?
ゲームには、プレーヤーを夢中にさせる何らかの要素がある。
その要素を、勉強や仕事に加えてみたらどうだろうか?
私が思う夢中にさせる要素とは、
- 最初から簡単にはクリアできない。
- とはいえ、あともうちょっとでクリアできそうと思わせる。
- 何度かチャレンジし、工夫したり、習熟したりするとクリアできる。
- すると、次のステージは少し難しくなって、最初からは簡単にクリアできない。
- 前に戻る。
もし、最初から簡単にクリアできて、次のステージも、次のステージも最初から簡単にクリアできてしまうようだと、ただやっているだけになって飽きてしまいます。
とはいえ、全くクリアできそうに思えないようだと、もう一回やろうという気持ちが萎えてしまう。
もしくは、何度もやって習熟して、さんざん工夫してもクリアできないと、そこで諦めてやめてしまう。
クリアして次のステージが用意されていなければ、もうそれでおしまいになってしまう。
【感情的側面】
工夫したり、習熟したりすることで、ようやくクリアできるところに達成感を味わうことができる。
これは、脳に対する報酬(快楽)なので、何度でも味わいたくなるのだ。
勉強でも、仕事でも、このように絶妙なステージが用意されれば、ゲームに挑戦するのと同じように夢中になれるように思う。
新しいことにチャレンジするときには、
1つのレベルをクリアしたら次のレベルに進めるゲームを思い出そう。
大抵の人は一度はこのようなゲームをやったことがあるだろう。
今チャレンジしているレベルがクリアできなかったら、クリアできるまでチャレンジしたという経験はないだろうか。
どうしたらクリアできるだろうか?
こうしたらどうか?
ああしたらどうか?
と試行錯誤したことはないだろうか。
次のレベルに進むと、クリアすべき課題は変わったとしても、チャレンジの仕方、クリアできるまでの試行錯誤は同じように繰り返すのではないだろうか。
例え、そのときそのレベルをクリアできなかったとしても、時間を置いてやってみたり、繰り返しやってみたりするのではないだろうか。
クリアできなくて悔しいという気持ちになったとしても、「今度こそは」と再チャレンジするのではないだろうか。
実生活でも、同じようにしたら良いのである。
目標をいきなり達成できなかったとしても、目標を細分化し、それをゲームの一つのレベルと思ってチャレンジしたら良いのである。
細分化したレベルを達成するために、何度も試行錯誤をしても構わないのだ。
というより、何度も試行錯誤するのが当たり前だと考えておけば良い。
そして、一つのレベルをクリアしたら、次のレベルにチャレンジすればよい。
ゲームなら、レベルを上げていって、最終的にそのゲーム自体をクリアすることになる。
同じように、細分化した目標を達成していって、最終的に当初の目標を達成すれば良いのである。
同じように考えれば良いのだ。
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